甲州市塩山の大藤地区。標高約600mの丘陵地には、桃やスモモの果樹畑が広がります。
スモモ専門農家が少なくなりつつある中、17歳で祖父の畑を受け継いだ靏田健太(つるだ けんた)さん。祖父から託された畑を守りながら、変化する自然と向き合い続ける靏田さんのスモモづくりと、その思いを伺いました。
中学生で突然訪れた転機。じいちゃんの背中を追い、農業の道へ

本当に27歳なのだろうかと思ってしまうほど、堂々としながらも落ち着いた佇まい。その姿からは、自らの力で道を切り開いてきたこれまでの歩みが垣間見えます。
スモモ農家を営む祖父と、会社員の両親のもとで育った靏田さん。幼い頃から祖父の後をついて畑へ行き、農機具に乗せてもらうのが何よりの楽しみだったといいます。
「将来は、じいちゃんの後を継ぐ」
小学生の頃からそう公言するほど、農業は靏田さんにとって身近な存在でした。

しかし、中学生の頃、人生を大きく変える出来事が起こります。
野球が大好きで、高校でも競技を続けることを目標にしていた靏田さん。しかし、練習中に足首に大きな怪我を負ってしまいます。
リハビリに懸命に取り組みましたが、思うように回復せず、手術を受けることに。高校で野球を続けるという夢を諦めざるを得ませんでした。

「このまま自分はどうなってしまうんだろう」
将来への不安を抱えながら過ごす日々。リハビリを続けながら、少しずつ祖父の農作業を手伝うようになりました。
「冬は休めるし、もう農業で食べていくのもいいかな」
当時はそんな軽い気持ちだったと、靏田さんは振り返ります。
中学生で突然訪れた転機。じいちゃんの背中を追い、農業の道へ17歳で独り立ち。自然と向き合う難しさを痛感
祖父に教わりながら農業に向き合うこと5年。「将来、健太(靏田さん)が農業で食べていけるように」と、新たにスモモの苗を植え、生涯現役のスモモ農家だった祖父は、93歳でこの世を去ります。
そして靏田さんは17歳で、受け継いだ畑を一人で守ることになりました。
「じいちゃんが亡くなった春、霜でスモモの花が傷んでしまったり、収穫直前に雹(ひょう)が降って実に傷がつき、出荷できなくなった年がありました。本当の意味で、農業で食べていくということは、それ相応の覚悟と努力が必要なんだと身をもって感じました」

広さ約2町歩(一般的な学校グラウンド約2個分)の畑を見渡しながら、靏田さんは「うちはわざと葉っぱを多めに残しているんです」と話します。
近年は猛暑の影響で、同じ品種でも収穫時期が30~40年前と比べて20日ほど早まっているといいます。強い日差しによる日焼けや、過去の雹被害の経験から、果実を守るために葉の量を調整。また、受粉の段階から実をならせる位置を見極めながら、一つひとつの実の品質を高めています。
正直、まだ手応えはない。地域の農業を未来へつなぐために

スモモの収穫シーズンは、6月中旬から9月上旬頃まで続きます。
中でも主力品種の「大石」は収穫量が多く、お客様の手元に届いたときに酸味と甘みが最も調和する状態を見極めながら収穫を行います。収穫の適期は短く、始まれば数週間で一気に収穫を進めなければなりません。
最盛期には1日で2万個を収穫するため、朝3時、まだ辺りが暗いうちからヘッドライトを付けて畑へ向かいます。収穫後は選果、箱詰め、出荷作業へ。2年前に会社員を退職した両親と力を合わせながら、日が暮れるまで作業に追われる日々を送っています。

「農業で生きていこうと決めて10年経ちますが、正直、確かな手応えみたいなものはまだありません。だから続けられているのかもしれません。簡単に答えが見つかっていたら、とっくに辞めていたと思います。数え切れないほど失敗もしてきましたし、これからも予期せぬことが起きるはずです。両親が支えてくれている今だけでなく、その先の10年、20年を見据えながら、どう未来につないでいくかを考えていきたいです」

現在、靏田さんは地域の農家グループの輪に入り、繁忙期の合間を縫って高齢農家の作業を手伝ったり、技術交換を重ねたりしています。
「甲州市は桃やぶどう、柿など、多様な果樹産地だからこそ、お互いに学び合える環境があります。一方で、周りを見渡しても同世代の農業従事者はほとんどいません。だからこそ、個人でやる農業ではなく、農家同士が気軽に支え合える環境をつくっていく必要があると感じています」
6月中旬から繁忙期を迎え、その安定した品質で評判を集める靏田さんのスモモ。
口いっぱいに広がるみずみずしい果汁と甘み、ほどよい酸味。その味わいの奥には、自然と向き合い続けてきたこれまでの歩みと、祖父から受け継いだ想いが静かに息づいています。
